白狐通信

時代と流行色

平安時代(794年~1185年)

京都の都が栄えた平安時代の流行色は「今様色(いまよういろ)」。
「今様」は「今、はやりの」という意味で、色としては紅色を指しますが、書物によって色合いの表記に差があります。
源氏物語において光源氏が最愛の妻・紫の上に贈った着物の色が「今様色」なのだとか。
今様色の染料は紅花で、呉の国から伝わった染料という意味で「呉藍(くれのあい)」と呼ばれ、やがて「くれない」となり、近世になって「べにいろ」と呼ばれるようになったそうです。

鎌倉時代(1185年~1333年)

武家政権が本格的になった鎌倉時代の流行色は「勝色(かちいろ)」。
紺よりも濃い、黒に見えるほど深い藍色を指します。藍色は別名「褐色(かちいろ)」と呼ばれ、武士たちがその色合いを好んで「かち」に「勝」の字をあてて縁起色としたのが由来と言われています。
男児の成長と健康を祈り、端午の節句に勝色の服を着せる習慣もあったそうで、勝利にこだわる武士に好まれた勇ましい色名といえます。

室町時代(1336年~1573年)

素朴な武家文化と優美な貴族文化が融合した室町時代の流行色は「海松色(みるいろ)」。
岩石につく藻の一種である海松の色で、深緑色を指します。当時はあまり見かけなかった、おしゃれで趣深い色合いがこの時代の文化人に深く愛されたそうです。後になって「海松茶(みるちゃ)」「海松藍(みるあい)」「藍海松茶(あいみるちゃ)」など変相色が多く生まれたという話からも、その様子がうかがえます。

禅宗や水墨画の「墨」、金閣寺など建物に用いられる「金」も、この時代を象徴していると言われています。

安土桃山時代(1573年~1603年)

町人に活気があふれていた安土桃山時代の流行色は「茶色」。
ひとくちに言っても、赤みがかった檜皮色(ひわだいろ)、淡い色味の香色(こういろ)や鳥の子色(とりのこいろ)、緑がかった朽葉色(くちばいろ)などさまざまで、現代の茶色とは少し趣が異なるのも面白いところです。

人形浄瑠璃や歌舞伎などの新しい芸能や楽市・楽座で町に活気があふれ、ヨーロッパ由来の南蛮文化が浸透する一方、千利休が茶道の道を究めたのもこの時代です。

江戸時代(1603年~1868年)

町人文化が発展し、「江戸っ子」という言葉があるように粋でいなせな気質や美意識が生まれた江戸時代の流行色は「鼠色(ねずみいろ)」。
奢侈(しゃし)禁止令により、庶民は控えめな色・柄の着物を着るようになりました。そんな中、わずかな色の違いで個性を主張したい庶民の想いと、染め職人の技術により鼠色や茶色系統の多彩な色が誕生し、ひとつずつ色名がつけられたそうです。それらは、「四十八茶百鼠(しじゅうはっちゃひゃくねず)」と総称されます。
大衆に流行色が浸透したのもこの頃です。

上羽絵惣の創業は1751年。江戸時代中期の宝暦元年にあたります。

明治時代(1868年~1912年)

大学教育に色彩学が登場した明治時代の流行色は「えびちゃ」。
近年では混同されていますが、伊勢海老のように赤みをおびた茶色「海老茶」と、葡萄酒のように紫みをおびた深い赤「葡萄茶」があり、どちらも「えびちゃ」と読みます。明治時代中期以降、女学生の袴の色に好んで用いられました。

色彩豊かな図案集「京華図案」や「新美術海」が制作されたのは明治時代後期。興味があれば調べてみてください、とてもモダンでおしゃれで、可愛らしいですよ。
さらに、化学染料の誕生や照明の発達により、この頃から明るく華やかな色が好まれるようになります。

大正時代(1912年~1926年)

大正浪漫や大正デモクラシー、第一次世界大戦など15年の間に一般民衆にも大きな影響を及ぼした、大正時代の流行色は「新橋色(しんばしいろ)」。
緑がかった明るい青色で、東京・新橋の芸者衆に愛された色として、地名にちなんだ名前が付けられました。別名を「金春色(こんぱるいろ)」「ターコイズ・ブルー」とも。輸入ものの化学染料により表現された明るい色合いが喜ばれたのだとか。
百貨店が毎年発表する流行色のほか、全体では青寄り、緑寄りの色が好まれたようです。そこには平和を願う想いもあったそうですから、いつの時代も変わらぬ人の心に安心しますね。

上羽絵惣の胡粉や胡粉ネイルのパッケージに見られる白狐マークがデザインされたのはこの時代、六代目当主の手によります。

昭和時代初期(1926年~)

大正モダンが引き継がれ和装と洋装が独特の雰囲気を醸し出していた昭和初期の流行色は「蘇芳色(すおういろ)」。
カラー写真が残っていないこの頃はなんとなくセピアのイメージを持っている人も少なくないのでは?

ファッションとしては男性の間に広く洋装が浸透しますが、女性の流行は和装が根強く、モダンガールと呼ばれる人たちの間で帽子やワンピースが流行する頃には戦争が始まり、庶民にも影響を及ぼします。
「贅沢は敵だ」とのスローガンのもと、華やかなファッションや色づかいが規制されていきました。

日中戦争~太平洋戦争・第二次世界大戦

日中戦争勃発から第二次世界大戦の戦時下、政府の主導もあり大衆の服装はカーキ色など落ち着いた色合いに統制されていきました。
国民服が制定され、女性のそれは活動性に優れて製作が容易なモンペでした。流行どころか国民生活が苦しくなるなか、庶民は四季折々に見られる花など自然の色に癒しを求めていたかもしれません。
日本で初めてカラーフィルムが発売されたのが1941年(昭和16年)。太平洋戦争開戦より半年ほど前のことでした。

戦後

日本では初めてのオリンピック開催(1964年)や高度経済成長(1955年頃~1973年頃)などで活力にあふれていた時代、技術の発達でより鮮やかな色彩表現が可能になり、蛍光色が流行しました。
デパートを中心に展開されたカラーキャンペーンではシャーベットトーンが大ヒット。涼しげで淡い色合いが人気となりました。よく耳にするパステルカラーよりもさらに淡く軽やかな色を指すようです。
戦前までの流行色から、より自由な形で庶民生活に浸透してきた印象を受けますね。

昭和時代後期(~1989年)

世界経済の低迷や不況、国内の公害問題が深刻な影を落とした昭和時代後期には、自然志向の高まりを背景にナチュラルカラーやアースカラーの人気が上昇しました。
その後、景気回復や円高からバブル時代を迎え、その頃にはパステルカラーやビビッドカラーが流行します。若者文化ではモノトーンも好まれました。
アイドルやタレントの華やかな姿をテレビのカラー放送や雑誌のカラー紙面で見たファンが、髪形や服装、化粧を真似て楽しむといった風潮も。
戦後の文化において自由と個性が市民権を得てきた様子が感じられます。

平成時代~現代(1989年~)

かつては地味な色とも言われた紺色が、一転して伝統・誠実・信頼・安らぎなどプラスのイメージでとらえられたように、「古き良きもの」が注目されている現代。
日本人が身につける色もナチュラル・ベーシックなものが増えてきたようです。生成、藍染め、草木染めなども好まれていますね。
季節の変化を感じ、自然と共に、その色を楽しみながら歴史を紡いできた日本の人々はいま、その道をあらためて振り返り価値を感じているのかもしれません。
胡粉ネイルが誕生したのは2010年(平成22年)。10年を超える歴史を紡いでこられたのも、みなさまからのご愛顧のおかげです。心より感謝申し上げます。
爪という小さなキャンバスを彩るのは、日本の歴史に寄り添ってきた伝統の色。あなた好みの色を見つけてください。

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更新日: 2024年03月28日 @上羽絵惣スタッフ